総需要の低迷が続く中、減休車効果で日車営収はやや上向き加減とはいうものの、二次減車は困難な情勢で、今後の適正化の取り組みとともに、事業活性化につながる新たなビジネスモデルの模索がタクシー業界の課題となっている。問題解決に向けてこれまでも「原点回帰」を唱えてきた大阪タクシー協会の古知愛一郎副会長(梅田交通グループ代表)と、かつてジットニー・キャブ構想をリードした大阪市立大学の伊勢田穆・名誉教授の顔合わせによる特別対談。両氏が一致した結論は「脱運転者任せの経営」だった。(進行:唐鎌嗣浩)
―まず、現下の情勢ですが、大阪市域の7月輸送実績は2万9780円と、久々に3万円に近づきましたが、最近の推移を見ると概ね2万7000円〜2万8000円で、30年前の水準とも言われます。営収減の要因は規制緩和以降の供給過剰が大きなファクターということもありましょうが、一方で景気の落ち込みが最大の要因という指摘もあります。営収減の要因について、どのように捉えておられるかというあたりからお願いします。
伊勢田 営収減の主因は供給過剰だと考えます。単なる景気の落ち込みではない。というのは、今あげられた数字によると、3万円に近づいたと。世間の景気はそんなに良くなったわけではありませんから。近年政府は、評価は別として、適正化新法で供給数を減らすような政策に転じましたから、それに伴い単位当たりの営収が増えたということでしょう。
リスクを運転者に負担させる特性
そもそもタクシー産業が他の産業と決定的に違うのは、景気が落ち込んだときに、他の産業だと、事業者は減収のリスクを避けるために嫌々ながらも供給量を減らすのですが、タクシー産業だけは景気が落ち込むと事業者は逆に供給を増やすという特性を持っています。タクシーの場合は不景気になると労働力の供給が増え、しかも供給数量を増加させると単位当たりの収入が減るかもしれないというリスクを事業者が主として負担するのでなく、その多くを運転者に転嫁する仕組みになっている。ですから、景気が悪くなると、気楽に台数を増やしてきた。需要が減っているのに、供給数を増やしていくという対応を個別の企業がとりますから、業界全体としては供給過剰になる。供給過剰になれば当然、単位当たりの収入は落ちる。これは当たり前のことなんですね。この産業の基本的特性は事業者が全面的に収入のリスクを負わないという点にあるのだということを忘れてはなりません。
タクシーの規制改革の際には事業者や学識者もいろんな形で関与してきたわけですが、事業者はリスクの大きな部分を運転者に負わす仕組みになっていると言えなかったでしょうし、学識者の皆さんにしても、行政当局が教えてくれなかったせいでしょうか、タクシー産業のそうした基本的特性についての学識をもたないまま、当局の推進しようとする数量規制の撤廃を問題なしとして支持したのではなかったか。
リスク負わずに増車はできない
古知 現状についての決定的な認識の相違は、事業者が何のリスクもなしに車を増やすということ。これは現実に不可能で、増やすには大きな経済的負担がいるわけです。現行の法制下でもすべて労働者の負担で安易に増やすことはできません。法的にもできないし、1両当たりの固定経費などから経済的にもできない。事業者の特性として暇になったらコスト無しで台数を増やすということは、現在はできません。
2万7000円〜2万8000円という平均日車営収は、30年前とは中身が違うと思います。当時は規制下で、おそらく運賃もほぼ同一、さらに大阪市内がほぼ同一の勤務体系であった中で、全社が2万7000円なら2万7000円だったわけです。これは社内的にも、各社においても一律だった。現在、実際問題としてすごく売上が上がっている会社もあり、2万7000円をはるかに下回っている会社もある。その平均値が2万7000円なのであって、規制緩和もあり、時代も変わり、過去と置かれている状況が違います。だから、その数字の中身は違うと思います、若干上がっているのは、グロスで20%近く減休車したということで、気持ちだけ上がったということは言えると思います。
私は、今後のことも含めて、最大の落ち込みの原因はタクシーにおけるほとんどの会社のビジネスモデルが、現在の需要、経済状態に型遅れになっているからだと思います。現在、ビジネスモデルがお客さんに合っていると言われる会社は増収増益になっていますし、今までのタクシーそのもののビジネスモデルが、今の時代には受け入れられなくなっているからです。そういうすべての要因が絡んでいますが、今後、法制度が変わらなければ、需要が落ち込むことによる供給過剰以上には車を増やせないわけですから、それよりも早い需要の減少などの問題を解決していかなければ難しい。需給に応じて供給を減らし続けていけば、ゼロになる可能性もあるわけですよ。
そのようなことも想定した上で、この落ち込みとタクシーの今後を考えていかないと難しいし、金額だけは30年前と同じだそうですが、そういう問題と今は事情が違うと思います。そういう総合的なものであって、タクシーの営収減の要因は複合的なものだと思います。
伊勢田 今話題にしているのは、なにゆえに適正化新法の制定を必要とするような供給過剰の状態が持続したかです。それは非常に単純で、数量調整規制の撤廃に伴って新規事業者が参入してくるとともに、既存の事業者もその流れに乗って景気が悪いのに台数を増やしてきたからでしょう。そんな中で増収を達成した事業者もあるとのお話ですが、それがどのようなタイプの事業者なのか、知りたいですね。リスクを運転者に転嫁する度合いの大きいビジネスモデルによる事業者でなければよいのですが。
古知 事実上、増車がずっとできなかったわけですから。できたのは、規制緩和によってできただけで、それまでは大量の増車は歴史的に見ても行われたことはなかったのです。
―景気動向はともかくとして、業界あるいは行政が取り得る方策として、供給過剰の解消が数年来の課題となって、業界の自主的な取り組みに委ねる形での適正化新法が21年10月に施行され、地域協議会方式による減休車の取り組みが進められてきました。それぞれから減休車に係る発言もありましたが、改めてこれまでの取り組みと効果について、ご意見を。
数量規制の撤廃は良いが資格規制を放置
伊勢田 いわゆる規制改革と言われる中身は、まず数量規制を廃止するということ。これについては、私は賛成なんです。供給数量を行政当局が決めるというのは統制経済で、市場経済には合いません。供給数量はすべからく事業者が決めるべきことだと思います。ただ、タクシーにあっては、先ほど触れたリスクの負い方の問題があって、市場は不況下でも供給過剰の状態に導く。だから、事前に供給過剰を防止するための策を講じておかなければならない。それには、事業者と運転者の双方に課せられてきた規制―供給数量に係る経済的規制との対比で資格に係る社会的規制と呼ばれる―を活用するほかない。数量規制を撤廃するのなら、ちゃんとした資格規制とセットで実施すべきだったのです。小泉政権の規制改革はタクシーに関しても重大な欠陥を内蔵していた。
それで、結果として生じた供給過剰を緩和しようとして制定されたのが適正化新法ですが、私はそのための方策として定められている地域協議会方式は安易だと思います。供給数量の談合による決定と言われても仕方ないでしょう。当局は適正と思われる数量の幅を示すから、誰がどれだけ減らすかは事業者同士で相談して決めてくれと言っているわけですから。
「ご相談の上で」と言ったって、先ほど古知さんがおっしゃったように、事業者にはいろんなビジネスモデルを持った方々がおられる。それが極端になると、それぞれが違った協会や団体をつくっていくことにもなります。事業の方針が違う人たちに、相談して減らしてくれというのはおかしい。現在の状態をもたらしたのは行政の責任、行政の失敗です。だから、行政として何を間違えたのかを反省した上で、是正策を講ずべきです。行政責任を頬被りして事業者の皆さんでご相談をというのは安易です。
ただ、すべて事業者任せにしてきたかというと、実はそうではない。新法の施行と並行して経営の実態についてチェックするようになった。これはいわば、裏からの資格規制の事後的な導入・強化でしょう。表向きは何も言わないが、それぞれの事業者の経営の仕組みを当局がチェックする。それが嫌で減車に応じる事業者が出てきているという報道もありました。脛に傷持つ事業者が結構おられる。そういう形で裏から、そして事後的に資格規制が入ってきている。供給過剰の緩和にとっては、こちらの方が効果大と見た方がよいと思います。
規制は本来、あらかじめ内容を示しておいた上で実施すべきものです。裏から入ってチェックするというのは、いかがなものか。タクシー事業にとっては資格規制がことのほか大きな意義をもちます。トラックや貸切バスと同じように扱ってはなりません。そちらの産業でも事故などの問題で資格規制は重要ですが、こちらはタクシーとは違って事業者が収入面のリスクの大部分を負っていますから、サービスの需給関係とは切り離して扱ってよいのですが。
規制改革の欠陥が露わになったとき、資格規制つまり社会的規制をどう活用するかを真剣に議論すべきでした。その点では新法は安易で姑息だと言わざるを得ません。
古知 これは以前にも言いましたが、いったい規制緩和とは何だったのかということですよ。誰がそれを求めて、誰が決めて、誰が実行したか。それを今、再検証しないと、問題は前に進まないと思います。削減率と言ったって、どれを分母に削減するのか。規制緩和前なのか、緩和後なのか。20年の「7.11」を基準車両数とした削減率ということですが、まだまだ規制時の14年よりは増えていますよね。それをもってどうするのかということでなければ、需給というのは100の需要に120の供給があるのか、100の需要に90の供給があるのかということで、もともとの分母がどれかということがはっきりしない中で、どれほど削減したらいいかということは難しい。
それと、規制緩和そのものが、新規免許、増車、運賃、あらゆるものが一斉に事実上、自由になったでしょう。その中で、それが良いのか悪いのかということで、先生おっしゃるように、市場経済ということは数量、価格も何もかも需給によって決まるわけで、それを規制するのがどうなのか。
規制緩和の良い芽も摘んだ
規制緩和の終り頃に、東京の有力な事業者の方と話した中で、「いろいろやってみたけれど、台数は増やしても意味がない。利益が上がるだけの状態で台数もフレキシブルに考えていかなければ」という動きは、一定程度あったんですよ。そういう形での規制緩和で、本当にタクシーも需給の状態によって、例えばバブル期なんか、増車した方が利用者のために良かったのだけれども、できなかった。
「ビジネスモデルと言っても、タクシー業界独力で爆発的な需要は創造できないわけだから、各社でやはりある程度、100両を60両にするとか、一番景気の悪いときに供給量を減らすとか、弾力性を持った利益追求型の企業としてやらなければダメだな」という形になりつつあったときに、規制強化、適正化新法ということになり、「もうもらえない(増車できない)のなら」ということで、既得権的に、東京においては1両500万円のナンバー権が発生しています。今、減車に応じる人なんかいませんよ。取り上げられるばかりだから。
そういうことで、規制緩和の良い面も摘まれてしまったと思います。皆、赤字で、利益が出るまで事業規模を縮小したいと思っている人もいると思いますが、現行では実行する人は誰もいないですよ。
―いったん減らしたら、増やせませんからね。
古知 規制緩和は失敗だったかもしれませんが、どんなものにも光と陰があり、今は規制緩和の陰ばかり言うけれども、増減車自由ということでの、自主的な縮小という良い芽を摘んでしまった部分もあると思います。今となっては、どんなことがあっても減車は無理ですよ。
規制緩和そのものがすべて自由だから、運賃はそのままで「数量だけ」と言ったら、違った面も出てきたと思いますが、わけの分からないうちに何でもかんでも自由という形で、われわれもそういう当局の政策に基づいて、大幅な低廉運賃とか、大幅な割引などを行って、その残像の中で遠割をどうするかという現状ですが、それは、われわれのリスクでやっているわけですよ。
規制緩和下ではあるけれども見直しをしなければならないという中途半端な中で、減車しろと言っても、事業者は増やしたことによっても、ある程度のお金も使っているわけで、途中で点数制ができたり、曲折があって、すごく体力も使ったわけですよ。それプラス、この次どういうふうにしようかと言ったって、なかなかでき得るような状態じゃないですよ。
結局、社会的規制という形で、タクシーセンターになって、個人タクシーも含めて点数制を全事業者に課して、東京でも大阪でも一部では点数による取消事業者が出てきている中で、それにも対応しなければならない。そういう社会的規制もできている。このままずっと行って、一部、経営裁量権がないぐらいまで決められている状態でしょう。事業規模においても、少台数でも運行管理者を3名置かなければならないというのは、結論的には統制経済だと思いますよ。
統制経済に移行しつつ、今、その過程のような形で、規制緩和下での改善ということで、土台がしっかりしておらず、ものすごく傷を負ってしまっているのに、あっちにもこっちにも絆創膏を貼って、絆創膏だらけで業界は動けなくなると思いますよ。今の状態ではどうしようもない。このような方向では、どっちにも行き詰ってしまうし、事業者自身はデッドロックに乗り上げていくと思います。それでなくても、3分の2ぐらいが赤字だと言われている経営状態ですからね。業界として身動きが取れなくなるような現実になっていくと思います。
―八方ふさがりの中で、どのあたりから足がかりをつけていこうと―。
古知 業界的に見れば、規制緩和の本来の意味の見直しとか、根本的な施策がないと、絆創膏を貼りながら来て、統制経済寸前のようになってしまっている現状は、なかなか打破するのは難しいと思います。
それと、業界として反省すべき点は、規制緩和下であれば自己責任だったわけですよ。自己責任の中で施策に乗って増車して、大幅な割引をして、業界内には行政が認可した低廉な運賃がある中でやってきて、増車ですごく伸びた人もあったわけです。メリットを享受している方もいらっしゃった。そんな中でデッドロックに乗り上げて、行政に解決を投げかけたわけですよ。行政は、行政としてのツールで「じゃあ、こういう形でやりましょう」と言いますが、われわれ事業者とはツールが違いますよね。向うは社会的規制とか責任とか、ということは監査云々となります。だから事業者そのものの、ある程度のメリットもあった中で、どうしようもなくこんがらがってしまったのを、すぐ行政頼み、最後は行政だと持っていくというのは、私は、いかがなものかなと思いますよ。やるだけやって、こうなってしまったから「はい、お願いします」というところは、われわれも少し反省しなければならない。
規制緩和前の方がましだった?
もうひとつは、業界そのものが、私も漠然と思っているのですが、規制緩和前の方がましだったと。だから、改善するには規制緩和前のような状態に持っていったら良いというものの、経済状態も何もかも変わってしまって、そのまま持っていくということはダメだけれども、ほとんどの方が、私も規制下の方が長かったわけで、「あの頃の方が良かったなぁ」と、「三丁目の夕日」的な情緒で、それを追い求めて業界活動や行政への働きかけに行っている嫌いもあります。その心は、半分は正しいけれども、半分の「あの頃は何もしなくても儲かったよなぁ」的な、安易な考えはダメだと思います。
そういう形でこんがらがってしまって今の現状があり、協議会方式というのも、ある有力な東京の事業者からレクチャーを受けましたが、行政訴訟とか公取委などの問題をクリアするには、このような協議会方式しか無理なんだと、だから、規制緩和の弊害を改善するための方策だから協力してくれということでした。必ずしもベストの方法ではないと思うし、今、こうなったら、減車も法律的にやらなければできないという声もあるように、なかなか難しいと思います。でも、いったん減車してどうなるかということに取り組んで、公称20%と言われる中で若干の効果もあったし、取り組んできたことは無意味ではなかったと思いますよ。でも、このやり方は、これが限界じゃないですか。
先生は「裏から」とおっしゃいましたが、労働時間オーバーとか、走行距離オーバーとか、今までのそういう甘い面は、私の認識ではほとんどなくなりました。それは良いことだと思います。「拳骨によるビジネスモデル」で若干、近代化したんじゃないですか。それと、ある程度、競争そのものがフェアになりましたね。
そういう効果もあります。しかし、先生のおっしゃるように発展的に、正面切った資格とか、社会的規制などの方向に転化していかないと限界がありますね。
―減車との絡みで言うと、1車1人制から1車2人とか2車3人制に移行する傾向が見られますが、1車1人制についてはどう捉えておいでですか。
古知 私は別に悪いことではないと思っています。もともと、私が研究した相互タクシーにおいても1車1人制を前提に独自の経営をされて、日本最大の利益を得たということもありますし、現在、個人タクシーも1車1人です。法人タクシーにおいても1車1人制で利益を上げている会社もあります。ですから、労働者一人ひとりの所得の面からも、評価するとかしないとかいうことでなく、一つの勤務形態として存在しているわけですから、否定もしないし、肯定もしないという立場です。
伊勢田 これを禁止するということはできないと思います。ただ、この方式は運転者任せの経営に最も適合的なシステムで、その点ではタクシー事業にぴったりということになります。その運転者任せの経営は良くないということを、私などは一貫して発言してきました。個人タクシーも1車1人だとのことですが、労働実態を比較すると大きな違いがあると思います。
古知 でも、現行法制化では運転者任せの経営はできないわけですよ。昔の1車1人制じゃなしに、現在、所定労働時間はすべての大阪のタクシーが守っているのであって、そういう意味合いと、これは一つの疑問なんですが、それこそ産業革命の場合、早く償却しなければならないから、一つの機械を3交代で使うという、労働者残酷物語の典型ですが、車両の場合も1車2人制とか3人制の場合、早く償却するという目的もあるわけですよね。生産材を早く使うという。昭和20年代なら2000万円ぐらいしたと思うのですよ、タクシー車両そのものが。今はそれほどの大きな投資ではない。となってきた場合には、一人ひとりの所得とか労働条件を勘案して、フレキシブルに1車1人制も1車2人、3人制でも、生産財主体よりも人主体の労働のあり方を考えていく方が良いと思います。
1車何人で早く償却しなきゃならんという考え方より、労働者中心の勤務体系による車両という考え方を分母にした方が良い。1台の車を何人で回すということでなしにね。
24時間対応が公共交通だとか、1車1人制性悪論とか、減車の一環とか、さまざまなことで話題になっていると思います。1車1人制が絶対に良いと主張される方もいて、そのアンチテーゼとしても議論されるのでしょうが、私は企業、労働者、社会的な利益の追求で、それこそ省資源につながる方が良いと思いますよ。
―先ほど、奇しくも相互システムに触れられましたが、お二人とも種々研究されてこられて、その後の変遷、現下のタクシー事情も踏まえ、今後の方向性を展望する上で、改めてどのように評価されますか。
統制経済下での成功と戦後の限界
伊勢田 私は、そんなに詳しく研究したわけではありませんが、評価する点と限界の両面があり、結論的に言えば、今これを評価して見習っていくべき点はないと考えます。
評価する点としては、当時の統制経済という状況下で考え抜かれたビジネスモデルであるということです。統制経済下のタクシー事業は、生産要素の調達の面で不利な立場にありました。車両、燃料、労働力の3つが揃わないと事業ができませんが、これらはまず軍事が、そして交通業では鉄道やバスが優先されます。
そこをどう打破するかということで、多田(清)さんはいろいろ考えられた。その典型が燃料確保のための森林開発であり、車については大事にとことん使い切り、修理もできるドライバーを充足するために住宅を用意するというように。燃料確保のために森林開発をするというのは、スケールが違いますね。統制経済の中で経営者として何をしなければならないかを徹底的に考えて、実行した。その点の評価を惜しむものではありません。
ただ、限界もあります。統制経済下でもタクシー需要は結構ありました。生産は軍事、それに関連するものが優先されますから、需要と供給で言えば、供給が不足する経済です。需要は重要ではなかった。そんな時代に編み出されたものだから、多田モデルと言われるものの特徴は、経営はサービスの生産にはタッチしない、それは運転者に任せて、彼らがちゃんと仕事ができるようにサポートし、またそうするように監視する、というところにあります。
戦後も統制経済の名残りがしばらく続き、その間は相互モデルの名声は高まるのですが、統制経済色が弱まり、それとともに規制が緩和されていく中で、戦後の新しい動向に背を向けたことがその弱点として浮かび上がってきます。ご本人はそのことに気づかれなかったと思いますが。
その典型の一つが無線という新しく登場した情報技術を一顧もしなかったこと。これは需要の開発には関心を持たないという戦前からの多田モデルのなせるところでしょう。お客は運転者が獲ってくるべきものでしたから。相互タクシーが顧客対策として実施した唯一のものとして繁華街の要所に設置する専用の乗り場がありましたが、これは成功しませんでした。戦後の大都市ではタクシーの乗客はそんな限られた乗り場では対応できない。需要は広域的に立地する多数の建物から発します。無線という技術はそのような需要を分散して需要を待つ運転者に伝達することを可能にします。
多田さんの戦後の経営はまた小型車指向でした。なぜ小型車にこだわったのか、私にはとうてい理解できません。高級なサービスという相互タクシーの企業イメージ・過去の遺産を潰してしまい、並みのタクシー会社になってしまった。これも顧客対策を欠く多田モデルのなせるところと言えるでしょう。
エムケイの青木(定雄)さんは、多田さんから大いに学んでいますが、その一方で、規制が緩和されるという動向の下、他の事業者からは無線配車の技術を学んで、主体的に需要対策に乗り出した。経営者側で需要を獲ってきて、運転者に指図してサービスを提供するという方式。多田モデルの盛衰で学ぶべきことは、ビジネスモデルも状況の変化に対応して進化する必要があるということです。
古知 時代性というものがあって、私は大学院でそのあたりを研究したわけですが、大阪では大タクができて、小型車が登場するとすぐに運賃競争が始まりました。私は、相互タクシーの原点は合法的な名義貸しだと思います。というのは、大阪で運賃競争が始まって混乱して、均一タクシーができた。相互は相互均一タクシーだったわけですよ。そこに多田社長が入られて、車両持ちの運転者として死ぬほど働いたけれども会社は破綻した、自分もやっていけないから、何とか改善して組合管理でやっていく。何とかやっていけるようになったら、今度は自動車事業法ができて、名義貸しが廃止になって、何とか食べていかなきゃダメだというので、それに対応するために直営制の経営組織になりましたが、事実上は名義貸しを合法化して償却制やリース制の原点を編み出されたのが、相互タクシーの原点だと思うわけです。
なぜ名義貸しができたかというと、労務管理ができない、運賃の低廉化で会社の収入が上がらない。これもひとつの流れですよ。当初の大タクは普通の経営制だったわけですから。そういう中において、合法的な名義貸しが、奇しくもあとから言われるリース制やフランチャイズ制に近い形になったという格好で相互タクシーの原点ができたと思いますから、私は統制経済下のビジネスモデルではなしに、名義貸しを合法化、合理化したものが相互システムの原点だと思います。
それがどうなっていったかというと、現在のタクシーの賃金の一端として生まれて、その後、先生のおっしゃるように、統制経済下で「節約=自分のところで造る」とか、ガソリンも節約する、木炭も自分のところで造る。そういう形にして、昭和19年、20年に供給がなくなったら、需要があったから相互タクシーの独占状態になった。それで大阪が先に統制がかかったから、京都に出て京都相互ができた。そういう形で、新しいビジネスモデルとして名義貸しの合法化によるフランチャイズでどんどん展開していった。
街頭指導、チケット等の顧客戦略も
多田さんの本を読むと、顧客対策として、今言われる街頭指導を昭和16年当時、際限なくやっておられるわけです。それと、いろんなところへの営業所政策も、当時は無線がなかったわけで、顧客戦略の一端だと思います。その当時もチケットがあり、相互のチケットはほとんどの人が持てないプラチナペーパーだったと聞いていますから、要は名義貸しが合法化されたのと、徹底した管理システムと乗務員教育、できるだけ節約して還元するという形で所得も多かったということで、私は、一つのビジネスモデルとして評価すべきだと思います。
戦後、先生もおっしゃったように最大の利益を上げたわけで、その利益で全部株を買って、主要な企業はすべて相互タクシーのチケットを持っていたというのは、一種の顧客囲い込み政策だと思います。
相互タクシーの限界というのは、要は多田社長個人の中に(システムの要諦)があって、形を真似した者から潰れる、多田社長という人間の中にあるから誰も代わりはできないし、誰も真似できないというのが限界だと思います。多田社長自身の中に内在するもので成り立っていたという限界。第二世代として無線ができたときに取り入れなかったというのは、時代の波でしょう。その時代の波を継承されたのがエムケイで、多田社長の原点を簡易化、マニュアル化してやっておられるし、私はビジネスモデルとして成功していると思います。なおかつ、原点そのもの、徹底した管理システムと乗務員教育など、ベースは同じです。
今のタクシー業界の問題は、供給過多とか、昭和の初め頃と共通するものが多く、その状況を打破してきたのが相互タクシーをはじめとする当時のタクシー業界、タクシー事業者であるのだから、その原点に帰るのが一番良いと思いますし、私自身はそうするつもりです。
歴史は繰り返すで、ただ違うのは、統制経済から戦時経済体制に入っていったということですが、先生がおっしゃるように、統制経済に入るスレスレぐらいに社会的規制があるわけで、今後、戦時統合になるとは思いませんが、そうした歴史があったわけですから、そこから学ぶべきだと思います。
伊勢田 私は、多田さんが見なかったこと、背を向けたこと、それが何かを確認することからスタートすべきだと思います。その上で今何が求められているかを考える。それを一言でいえば新しい技術の導入と新たな需要への対応ということになりましょう。多田さんに絡めて言えば、それがこれからの課題だと私は考えます。
―現状打破ということでは、ドライバーの平均年齢が60歳になって、なかなか若い人が入ってこないという状況があります。賃金問題は別にして、勤務形態などで見た場合、若年労働者を呼び込む要素はありませんか。
伊勢田 一番大きいのは、タクシー産業のイメージが良くないということですね。昔は稼げる、「ちょっとしんどいけれど稼げる」というイメージがあったと思います。それが今は、トラックのドライバーがそんな感じですかね。タクシーにはそんなイメージがない。それに、年金の不足分を補うことを目的とする老人の職場と、若者からは見られているでしょう。楽しい、面白い産業なんですよとアピールする努力、何を売り物にするかということが業界側になければいけないと思います。新たな需要の開発への参加というのもどうでしょうか。
会社が仕事を与えてマニュアル化
古知 今の典型的なタクシーのビジネスモデルでは、若い人は来ないでしょう。私が考えるビジネスモデルとして実態例がある会社は若い人、満タンです。先生もおっしゃるように、運転者任せにしない。例えば朝6時に出勤して、日勤11時間、仕事は決まっていて、無線の指示通りに5時まで働いて帰る、お客さんは探さない。そういうような会社、それに近い会社なら若い人がいくらでも来ています。
仕事は会社が全部取ってくる。タクシーの場合、無線があるわけだから、会社の指示通り、無線がなければハイヤーのように、8時から5時までは○○証券で時間通りに働く、そういう形で給料はいくらですよ、というようにマニュアル化されたところでは、比較的若い人は絶えず集まっています。
以前対談させていただいた神戸大学大学院の正司健一教授は、「駅待ちしているタクシーは全部減車すればいい」とおしゃっていました。「いつ来るか分からない駅のお客さんを待っていたら、労働時間がいくらあっても足りないでしょう」と。私は、急には進まないけど、そうしなければ無理だと思う。タクシーより給料が安い産業、もっとしんどい産業はいっぱいあるわけですよ。タクシーは予測のつかない売上で、「ウチは賃率これだけですよ」とよく言いますが、分母がいくらであるかによって違うでしょう。労働者は最低25万円要るんですとか、30万円で生活したいというので来るわけですよ。「給料は30万円です。そのかわり合法的な171時間の所定労働時間内できっちり働いて下さい」と言って30万円渡すというようなビジネスモデルでなければ来ないと思う。
深夜勤務のあるホテルでも事業はいっぱいありますし、拘束時間の長い事業もいっぱいある。最低賃金に抵触しない限りにおいてタクシーより給料の安い事業もいっぱいあります。そんなところでも若者は来ていますよ。なぜタクシーだけ来ないかというと、そういう運転者任せとか、「頑張ってきて下さい」と言うだけの労働形態に問題がある。だから、正しく会社が管理・教育して、仕事は基本的に与える、時間から時間までというような会社は、運転者は満タンですよ。きついという話もありますが、所得とすれば大阪のタクシー運転者の平均に比べてはるかに高い賃金は貰っているわけです。
だから、そういう形での根本的な経営のあり方とか、顧客開拓とか無線などに会社も労力をかけるということであれば、ある程度、若い人は集まってくると思います。
私はある程度、それをイメージして、実情も見て、ウチも遅まきながらこういうふうにしなけりゃいかんなと。ウチはまだまだそうなっていないけれども、そういう方向の会社しか残れないと思う。
ビジネスホテルのフロント並みに
よく、「サービス」と言うけれど、タクシーで特別なサービスはできないわけです。概念的に一般の人が求めるサービスというのは、一般的なビジネスホテルとか、サービスの良いガソリンスタンドレベルの接客だと思う。その程度をタクシー運転者に求めていると思います。一般的なビジネスホテルにしろ、ガソリンスタンドにしろ「お前客か」みたいな態度ではないでしょう。「いらっしゃいませ」という接客をしますし、それが普通の会社ですよ。そこには若いフロントマンもいるし、ガソリンスタンドはタクシーより過酷だと思いますが、70歳のスタンドマンはいませんよ。
今、私が言うビジネスモデルの会社で社員の方に聞くと、「普通の会社ですよ」と言うわけです。その普通の会社をタクシー業界から見たら、極端におかしいと言うわけです。中の人は「普通の会社」と言うし、楽しいかと聞くと「まあ、楽しいですよ」と答える。他の会社で聞いたら、そんな答えは返ってこない。だから普通であるべき、普通の会社だったら、普通の人が来ると思う。
―若年労働者の確保という観点から、大タ協の藤原(悟朗)会長は、二種免許でなく、一定の教育を施すという条件付きで一種免許者にタクシー乗務員の門戸を開放すべきだと提唱し、与野党に働きかけも行っています。これに対し、乗務員の資質向上の観点から地理試験等の厳格化や資格制度、免許制などを主張する向きもあります。この問題についてはいかがでしょう。
伊勢田 そういう議論が会長から出るとは思いませんでした。自殺行為ですよ。供給過剰が現在の問題であり、それを克服しなければいけないのに、供給過剰を促進することになります。何を考えておられるのか…。
―若い人を確保したいというのが出発点でしょうが…。
伊勢田 年金生活者に依存する部分が増えてきたから若い層が目立たないで、老人ばかりというイメージが定着して、そういう産業なんだというふうに見られてしまう。なぜ年金生活者かというと、「働けるだけ働いて、あとは自由にしてくれ」というような雇い方をする、むしろそちらの方が問題で、これは逆効果だと思います。
今大事なのは、冒頭に言いましたように、資格規制・社会的規制をきちっとすることです。若者に門戸を開放するために緩めるということではなく、むしろ強化して、しかるべき資格・能力を充足する者のみに参入が許される事業として、従業員に誇りをもたせる方向に向けて行くべきだと思います。
古知 基本的に今後、需要の減に伴うものは別として、車が増えないわけですから、これ以上の供給過剰にはならないわけですよ。乗務員がいくら増えても、車が増えることはない。藤原会長がおっしゃっているのは、平均年齢を下げなきゃいけないから、若者を入れる策としてという意味合いもあると思います。トラックは18歳から乗れるのに、二種免許が必要なタクシーは21歳からしか乗れない。労働者の若返りを図るひとつの施策だと思います。18歳から二種免を取れるようにしたらどうかという議論にもなりますが、そういうことも含めての話だと思います。
ただ、先生もおっしゃるように資質向上とか、地理試験等が、現在のタクシーセンターの地理試験の厳格化、事業者に義務付けられている10日間の新任研修にしても、法律的に内容がどうかというと、義務化されているだけで、これを厳格化するだけでも、現行法制下でかなりの資格制度にはなると思います。今ある地理試験を厳しくするとか、実地も含めるとか、10日間の研修制度においても法的なマニュアルを作って、それをクリアしないと運転者として登録できないようにすれば、資格そのものは、事業者の自主的な努力で、ある会社は莫大な投資で運転者教育を行っているし、10日間の研修も事業者が全部負担してやっているわけで、そういう面を社会的に制度化するというのも良い方法だと思います。
ある意味、18歳で二種免許が取れないという以外は、教習所でも取れるし、地理試験、10日間の制度もありますから、それを厳格化するだけでもかなり資格のハードルは高くなりますし、現行制度の内容をグレードアップするだけでも資格というか、評価を上げるということは良いと思います。誰でもまじめに取り組めば到達できるというプログラムを組んで、それを事業者と運転者に踏ませるということにしなければ。
タクシーというのは、ある程度、社会的なセーフティネットの面もありますから、もう一回やり直すとか、一からちょっと収入がほしいという人が誰でも取り組めるようなプログラムで、先ほど言ったある程度の社会的なコンセンサスが得られるレベルの人を造っていくというふうでなかったら無理だと思いますよ。
―一方、最賃割れなど、賃金問題についてはいかがでしょう。
「業界すべてが最賃割れ」の誤解
古知 今回初めて地方最賃審で意見陳述してきました。「ちょっとおかしい人」というような評価でしたが(笑)、他の人は最賃以外には収入の途がないわけですよ。それとか、パートの女性労働者が多かったけれど、8時間労働を6時間に減らされるとかね。そういう意味合いでの収入が固定給で最賃しかない人の「上げてくれ」運動で、タクシーとはちょっと違うのじゃないかということが、行って初めて分かったのですが、事実上、最賃割れというのは、あまり今、起こり得ないのですよ。適切に労務管理をしておれば起こり難いけれど、さらに低営収になれば起こり得る可能性があるということですが、今、社会的には全員が最賃割れというような捉え方をされていますからね。協会としては、最賃が起こり得る可能性があるから一律の引き上げは反対だということを明確にしておかないと、業界全体が最賃も払えないような営業形態であるというように捉えられていました。
ただ、「稼げるタクシー」というのは、もうないと思います。ひとつ頑張ってと言ったって、労働時間、走行キロが規制されており、過去のように「腕一本で頑張って」という形ではありません。そういう中で今後の賃金問題を考えていかなきゃダメだと思う。それには、先ほど言ったように、会社が仕事を与える、そういうふうにしていくと、どんな賃金体系を取っても労働者の所得は平均化していくわけです。だから、ビジネスモデルとして労働者に仕事を分配できるような形になれば、必然的に固定給化していきますよ。
―時間も迫ってきましたが、適正化新法の施行に伴う下限割れ運賃審査の厳格化で、ワンコインが縮小傾向にあります。1年限定の継続が認められたのはこれまで個人の2者のみで、行政当局は法人に関しては認めない意向のようにも思えます。タクシー運賃はどうあるべきだとお考えでしょうか。
運賃規制は行政の責任で
伊勢田 他産業の場合、価格は企業の自由で、生産者同士が価格をめぐって相談すると談合、独禁法違反ということになります。タクシーの場合、上限規制でやってきましたが、結果はあまり良くない。数量規制をやめるなら資格規制をきちんとしなければならないのと同じ理屈で、供給数量規制の撤廃と引き換えできちっとした運賃規制も行うべきでした。同一地域・同一運賃に戻せと言う向きもありますが、それについて私自身はまだ考えがまとまっていません。それにしても現状はあまりにも混乱していますから、もっと整理・単純化する方向で規制を見直す必要があると考えます。
古知 より難しくなったというのは、今、協会でも取り組んでいる遠距離割引につても、開けてはならない運賃自由化というパンドラの箱を開けてしまって、今、閉めた方が良いと言っても、一回開けたものはなかなか閉まりませんよ。遠割にしても箱の中に入る方向性はなかなか見出せません。総論賛成・各論反対、運賃イコール価格の競争力ですから、競争力を失った価格がどうなるかとか、さまざまな要素があって難しい。
そういう中で経営者、労働者、あと利用者がいるわけで、「高くなったらタクシーに乗らないよ」と言われたら需要がゼロになってしまう。いったん、ああいうような運賃の自由化、低廉化、大幅な割引というのが打ち出された中で、もう一度どこかに収れんするというのは非常に難しいと思いますよ。恒久認可のワンコインもあるわけで、同一地域・同一運賃自体、強制できるものでなく、なかなか難しいと思いますね。
ものごと何でも安くて質の高いものが良いわけで、タクシー価格もそうあるべきですが、製品でないから、たくさん造ったら安くなるというものでもない。今、若干、ワンコインなど下限割れの方が営収は良いわけですが、隙間産業だから良いのか、そうでないけれど良いのか分からないから、タクシー運賃がどうあるべきかというのは難しい。
選べない流しは同一運賃?
流しの運賃と選べる無線を別にすべきという原則論がありますが、最終的にはそれぐらいじゃないでしょうか。選べないものは選べない運賃ということで同一運賃、無線車の場合は選べるのだから選んだら良いという論が昔からありますが、最終的にはそれぐらいの差別化じゃないでしょうかね。
―そろそろ締めくくりということで、活性化についてお聞きしたいのですが、適正化についての補足も含めてお願いします。
伊勢田 補足と言うより繰り返しになりますが、規制緩和が一転して新規参入、増車が不可能になったということで、古知さんも今後、供給数量が増えることはあり得ないとおっしゃっています。今は、緊急避難的にそうなっているわけですが、今後はどうすべきなのでしょうか。本来の数量規制は市場経済になじまないという考え方からすればおかしいわけで、これからなすべきことは、むしろ資格規制をどう組み込むかを真剣に考えることでしょう。参入・増車が不可能になったため、譲渡譲受による営業権の売買で稼ぐという事例が出てきたとのことですが、数量規制時代の不健全な現象ので、ちょっとどうかと思いますね。
事業の活性化策で大事なことは、これも繰り返しになりますが、供給と需要に係る新たな動向を注視して、経営の基本的部分を運転者任せにしないで、経営者としてもちゃんと責任を負っていくことです。需要に関しては、一方ではバス事業でも規制の緩和・撤廃と民有化がなされ、他方で少子・高齢化が進行する今日、タクシーの出番は増えているはずなのに、私には関係者の対応に意欲が感じられません。
古知 活性化より発想の転換ですね。おそらくタクシー事業法の制定は難しいと思います。じゃあ、昔に戻るかというと、先生もおっしゃったようにそれは難しい。結局、特措法である適正化新法が、昔の近代化法みたいに恒久法として何回も更新されていくというのが、一番現実的な見通しじゃないかと思いませんか。
「一般産業」に変われるか
そんな中で、東京ではそれを前提に果敢に増車をしている事業者も出ているやに聞きます。皆、だいたいの社会的規制とか監査も分かったわけで、そこにチャレンジしていく人も出てくると思います。
今、東京で1両500万円で取引されているというのは、それだけ儲かるわけではありませんから、今後ますます減っていく中での先行投資でしょう。どんな時代になっても譲渡譲受はあるわけで、経営者の感覚ですからね。規制緩和時代はゼロ円でできたわけですが、戻ることはあり得ませんからね。
だから、大阪でも今後、フランチャイズ化が起こると思います。東京の場合、ほとんどが買収によらないフランチャイズで、日本交通グループといった形で、無線の投資がいるから、どんどん収れんされているでしょう。全然、関係のない車がkmグループであったり、どんどん収れんしていく。そういう買収によらない系列化が、大阪でも今後あり得ると思うし、東京はますますそういう傾向ですよね。東京は売上が上がったといっても経済的には厳しいですからね。ある程度の規模があったら、どこかのグループに入らないとやっていけない。
タクシー事業の活性化というのは、先ほど言ったように、一般産業的にタクシーが変われるかどうかです。顧客を獲ってくると言っても、もっともっと大阪の需要は減ると思います。減った中でどうなっていくかと言えば、一部の地方都市が乗り場と無線だけでやっていますが、大阪の都市部もああいうようになっていくと思う。その場合に、効率を高めるということは、朝8時に出勤してきた運転者さんに1日賄えるだけの無線予約を与えて、定時に帰って来てもらって、一定の処遇を与えるという形しか活性化のモデルはないと思う。それに付随して一部に乗合のジャンボとか、EVで赤バスの代替とか付加的にはあるかと思いますが、主軸は一般タクシーの供給を合理化していくということです。
今でもタクシーに乗りたい人はいっぱいいるけど、ジンクスとして乗りたいときに乗れないのがタクシーです。一部の会社は2〜3時間無線の空車がないぐらい忙しいのだから、それを均等化すべく頑張って、そういうモデルをつくって、乗りたいときに無線ですぐ来る、運転者は先ほど言ったような社会的なコンセンサスが得られるレベルの教育を受けて、資格を持つ―そういう形でやっていく。やっていけないところはやめていかなければ仕方がない。そんなにとんでもないことはできないし、発想の転換だけでお金もかからないし、そういうふうなことしか、今後、タクシー事業が生き残って行く道はないと思います。
―長時間、有り難うございました。(9月7日収録)
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