―東京乗用旅客自動車協会は今年4月1日をもって、一般社団法人へ移行するとともに、名称も「東京ハイヤー・タクシー協会」に改めました。
富田 名は体を表すとも言いますし、分かりやすくなって良かったと思います。先日、東タク協としての米・ニューヨーク公式訪問を経て、あちらでの広報体制の充実なども報告されていますが、まずわれわれの協会が何ものであるのか、かつての名前では少々分かりにくかったということはあるでしょう。これは全国団体にも当てはまることで、全国乗用自動車連合会では分かりにくく、「全国ハイヤー・タクシー連合会」と一足早く改められていたわけです。
今、私どもの業界では適正需給、適正運賃を求めてタクシー関係3法案の今国会成立を求めて運動していますが、各党のタクシー議員連盟の幹部を務められているような一部の先生方を除けば、○○乗用旅客自動車協会とか言っても何の団体なのか即座にはピンときませんね。これまでの3期6年間は政治活動のほか、物価安定政策会議をはじめ交通政策審議会などで学識者や消費者代表の皆さんに向けて自己紹介する際にも、われわれがどういう団体なのか説明することから始めなければなりませんでしたが、今回の改名で随分話が早くなりました。
「タクシー」にプライドを
これまでの協会の名称に直接「タクシー」と付かなかったのは、業界自身が何か劣等感のようなものを持っていたのかもしれません。経営者も乗務員ももっと、タクシーということにプライドを持つべきなんです。無理して難しい名前を付けて、名称だけよく分からない高級感のようなものを持たせて―ということではなくて、実質、中身を高級なものにしていけば良いんだと思います。業界外の方々に、愛されるタクシーになるためにも、分かりやすい名前に変えたことは良かったと思うんです。
―今月24日に通常総会を迎え、会長職に就かれて3期6年が経つことになりますが、この6年間で特に印象に残っていることがあればお聞かせください。
富田 そうですね、毎日毎日が記憶に残ることばかりなんですが(笑)。
―確かに就任1期目にタクシー適正化新法が成立し、それを実行に移すという意味は日々、未経験のことが続くという状態にありました。
富田 まず、最初に直面した問題は東京の場合、運賃改定ですね。物価安定政策会議を2回開くということは非常にパンチのある出来事でした。最終的には政府として運賃改定認可を決断していただくことになりましたが、タクシーに関する諸問題をさまざま提起されることになり、それが交通政策審議会のタクシーワーキンググループ(WG)の開催へとつながりました。
「一生忘れられない」7.11通達
交政審WGではタクシー問題について、いろいろな議論が展開されたわけですが、諸問題の中でもタクシーの問題のかなりの部分が供給過剰に由来するとの中間とりまとめを出していただけたことは非常に良かった。これと前後して、国土交通省からいわゆる「7.11通達」を発出していただいた。このことは一生忘れられないことですね。
この通達によって、実質的に新規参入、増車はストップしたわけですが、じゃあそれで一件落着かと言えば、そうではなくて、やはり需要に合わせた供給としなければタクシーに関する諸問題は根本的に解決しない。運賃改定だって、乗務員の賃金を改善していかなければ業界は良くならないということから出発しているわけですから、供給過剰を直すためにはどうすれば良いか?やはり減車問題は避けて通れないなということになったわけです。
当時、タクシー乗務員の賃金は約30年前の水準に落ち込んでいると言われていたわけですが、業界の歴史を振り返れば、これに対する処方箋としてはただひたすら運賃値上げを繰り返す―というやり方のほかなかったわけですね。近年はデフレ不況の時代に入っており、その中で運賃改定することの妥当性ということを考えれば、もう少し早く供給過剰解消に動けていれば―という思いはあります。
減車をするということを行政も業界も深く考えたことはなかったわけで、結局常道とも言える運賃改定をすることになったんですが、結果から言えばそれがタクシー適正化新法につながり、減休車に取り組むこととなったのは良かったと言えるんじゃないでしょうか。
―タクシー適正化新法の成立、施行で、地域協議会が開催され、個別事業者においても特定事業計画を作成し、事業再構築=減休車に取り組みました。東京業界ではまず特別区・武三交通圏で20%減休車に取り組んだわけですが、取り組んでみた結果についてどうご覧になりますか。
富田 タクシー適正化新法はそもそも内閣提出法案でしたし、物価安定政策会議からの流れもあって、運輸行政は非常に積極的に協力していただけたと思います。この法律は供給過剰の解消にあたって強制力に欠けるという意味で、内容に不満がないわけではないのですが、当時の政治状況の中、また、時代としての感覚の中で、できるだけのことはやっていただいたと思いますし、あれだけお世話になった以上は、その恩返しとしてもできるだけのことをやらなければ次のステップへ進めないなと考えていたわけです。
東京の場合ですと、結局のところ自分の協会の会員を信じ、自社でやるべきことをやれば良いんだ―と。そうすれば、皆さんが自分で判断してしっかりした対応をしてくれるだろうと。もちろん、全事業者代表者会議を開催するなどの努力はしましたが、多くの皆さんにご理解をいただき、その結果、今日までに特別区・武三交通圏では18.5%までの減休車が進んだわけですね。
「捨てたものじゃない」東京の事業者
前にも申し上げたことがあったかもしれませんが、「東京のタクシー事業者はやっぱり捨てたものじゃないな。素晴らしいな」と思いましたし、今も思っています。理性的かつ合理的に物事を判断していただけていると思うんです。まあ、全社というわけにはいきませんでしたが、ここまでできたのは、「自分の事業は自分で守る」という共通認識ができたからなんだと思います。このことはたいへん有り難く、感謝しています。全国で最初に地域協議会が開催され、注目される中で東京業界がここまで結束できたことで、全体に良い影響を与えることができたんじゃないでしょうか。
確かに同法施行から3年余が経過しましたが、デフレ不況の中ということもあってその効果はやや限定されているきらいはありますが、何とか下げ止まっているのも減休車のおかげでもあります。いま、もう少し現行法の足りないところを補うためにも、新たな法律を作るべく取り組んでいるところですが、それがここまでこぎ着けられたのも、これまで現行法に基づいて業界自身が自主努力を行ってきたことを世間が認めてくれたんだと思います。
―今までのお話は、主に就任から2期目までの出来事が中心だったと思います。3期目の大きなトピックとして東日本大震災の発生ということがありました。直面する事業運営への危機感、当時、取り組まれていたタクシー事業法制定の遅れなど心配することが多かったと思うのですが。
富田 日本中がひっくり返りそうな大震災が発生したわけですから、タクシー業界だけが勝手を言って、「こっちを何とかしてくれ」とはならない。むしろ、「われわれのことはいいから、震災からの復興を」と言わなければならない状況でしたね。タクシー関係法案が震災の影響で1年以上先送りになったのは事実ですが、そのことに対する不平不満はないんです。
むしろ3期目の大きな出来事でタクシー関係法案に少なからず影響があったのは政権の交替ですね。民主党政権の下で、労使が一体になって現行のタクシー適正化新法の足らざるところを補う法律を作ってほしいと運動してきたわけで、当初経営側としては道路運送法の改正を念頭に置いていたわけですが、協議を重ねる中で「タクシー事業法案」に変わってきた。政治情勢の移ろいの中で、なかなかこれをものにすることができないまま、また政権が変わり、この間、自民党側から出てきた対案もあって今日に至っているわけですね。
業界の要望は一貫
もともと業界の要望としては何も変わったことは言っていないわけで、「現行法の趣旨を徹底して実現するための手直しが必要」ということなのであって、どういう法律でそれをやるかということは大きな問題ではない。
この6年間全体を振り返れば、確かに陰ではいろいろご批判もあったでしょうが、大局的には一致団結を保ってこられたと思います。会員事業者の多くの皆さんには大変なご支援をいただいたと思っています。また、そうでなければ政治でも行政でもわれわれを支援してはいただけない。十分ではなかったかもしれませんが、世間に通用するくらいの団結力を示すことはできたんだと思います。それは今でも続いていると思うんです。
―1期目、2期目、3期目とそれぞれ印象に残る出来事があったと思いますが、4期目には、いまできつつあるタクシー新法の施行を見届ける楽しみができたと言えるのでしょうか。
富田 事業者も乗務員もこれまで以上に一所懸命に真面目に努力した人が報われるようになれば良いなと思いますね。いくらがんばっても赤字経営だとか、賃金が上がらないというままでは困ります。
―有り難うございました。
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